諸君。私はプレゼンで出るグチャっとしたスライドが嫌いだ。
よく「パワポのスライド1枚にまとめました!」「1枚にまとめてください」という言葉を耳にするように「少ないスライド数でまとめることが美しい。簡潔である。」みたいな風潮があったりなかったりする。
しかし、俺は嫌いだ。
理由は2つ。
- 多くの情報を1枚に詰めることに価値を感じない。というかスライドは紙と違って何枚も作れるのに少なくしようとする意味が分からない。
- たとえそれが表だろうが、表は「まとめた気になっただけ」という自己満足にしか思えない。
それぞれ愚痴って話していこう。
1枚に詰めるな
そもそもなんだが、なんでスライドとかいうデータを扱ってるのに1枚に押し込めるんだ?エコ意識の表れか?PCのごみ箱の中に紙とか入ってるとかマジで思っちゃってる?
まとめるって言うのは辞書的には「物事の道筋を立てて、整った形にする」って意味で「いつ見返しても学んだことなどを思い返せるようにする」のが目的にあるはずなんだが、それがスライドに情報を押し込めるのと関係はないでしょ?
なに?「整えるんだったら1枚に収まるはずだろ?」って?
アホか。整えたら枚数が減る理由にはなるけど1枚にする理由にはなってねぇよ。1時間半の大学の講義のまとめが1枚のスライドに収まっちゃうわけがないだろ。できたとしたらどんだけ薄味(ウスアジ)な講義してるんだよ。
スライド1枚をそのままポスターにするんだったら別途作らせろ。展示させるのと人に見せるのは作り方が根本から違うにきまってる。
そうやって妙なエコ意識のようなものがあるからスライドがグチャっとするんだよ。スライド1枚の情報量を削りまくって複数枚贅沢に使ってもっとわかりやすくしろ。スライド増やすショトカ一発で地球の資源がなくなったりしないんだから。
その文字が詰まったスライドは印刷資料用に回してもいいだろう。「発表用スライド=印刷用スライド」である必要はないんだし、そしたら資源にもやさしいんじゃない?知らんけど。
表という自己満足
これは時と場合によるのだが、スライドにまとめるときに表にまとめる人がいる。
もうそれはスライド1枚にまとめたわけじゃなくて『表』にしただけなのだ。スライドなどと安易にカタカナに置き換えるのをやめてほしい。
まぁその表が3×2くらいの簡易なもので、かつ1つ1つのセルが一言二言であればノー問題なのだ。「お、これはわかりやすい表だな」といいたい。
だが4×5のクソでか表で、かつ1つ1つのセルに長文が突っ込まれてたりしていたら……考えるだけでも吐き気がしてきた。
まず表は言っちゃえば「穴埋め」だ。セルを作って、そこに文章つっこんでおしまい。セルの上下左右のつながりは無視。セルを埋めて僕、満足!……では聞き手が困るのだ。聞き手はセルの上下左右のつながりは、表のあちこちを目で追わないとわからないんだから。
あれの問題点は「パット見でわからない」ということだ。1枚でわかりやすくって言ってるのに本末転倒もいいとこである。字も小さいし。「後ろの人見えますかー?」じゃないんですよ。煽ってんのか?
もう一つ、グチャっとした表は話し手においても呪いをかける。「左上の項目を…」「この項目は…(ポインター当てながら)」と説明するやり方は、聞き手が聞き逃すリスク、先読みする聞き手が話を聞いてくれないリスク、そもそも変わり映えしないから聞き手が飽きるリスクなどなど、リスクを抱えまくるのだ。
そこまで抱えてまでその表、使う?
そうだったらその項目1つ1つを抜き出してそれぞれをスライドを使って話したほうがまだ見やすいはずだ。
(場合によっては致し方なく表にせざるを得ない状況があることは認めて)どうしても表に起こしたいというのであれば、目次の代わりにその表を見せればいいだろう。
1つ1つのセルを話すごとに表を見せて「次はこの項目、〇〇についてですね。」といいながらそのセルを浮かび上がらせる工夫をする。(他のセルを薄く表示させたりすればわかりやすいと思う)
そうすれば聞き手の復帰も最小限の労力で済むし「本当にわかりやい」という噂を聞きつけ、途中から後方彼氏面をして入ってきた上司に対しても伝わるはずだ。
だから「わかりやすい」などといって表をそのまま使って発表するのはやめろ。寝たからといって文句を言うな。薄暗い部屋でそんなものを見せられて「寝るな」というほうが無茶がある。
まとめ
- スライドは贅沢に使って「1情報につき1枚」くらいで作れ。
- 文字の多い表はリスクの塊なんだから最低でも目次程度に使え。
- 聞き手が寝た原因をすべて本人に押し付けるのはやめろ。
以上